日本国民は感情を示さない故に不平不満不安が爆発した時の連鎖が怖い!『原敬、浜口雄幸、犬養毅…一世紀前の暗殺連鎖の時代と現代の不気味な共通点』


原敬、浜口雄幸、犬養毅…一世紀前の暗殺連鎖の時代と現代の不気味な共通点
 (朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)  7月8日、安倍晋三元総理が奈良市での選挙演説中に背後から銃撃され、命を落とされました。「安倍元総理、…
(出典:JBpress)


7月8日、安倍晋三元総理が奈良市での選挙演説中に背後から銃撃され、命を落とされました。「安倍元総理、撃たれる」との一報が入った時、なんとか一命をとりとめてもらいたいと願ったのですが、このような痛ましい結末となってしまったこと、残念極まりありません。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 それにしても21世紀の日本でこんなことが起こるとは、事件が起きるまで想像もしていませんでした。犯人による凶暴な行為に愕然とするばかりですが、冷静になって歴史を振り返ると、およそ約100年前の日本と非常に状況が似ていることに気が付きました。

1920~30年代の日本です。

現職総理や元総理の暗殺が相次いだ時代
 この当時、政治家の暗殺が相次ぎました。1921年、当時の総理大臣・原敬が東京駅で国鉄職員によって刺殺されます。1930年にはやはり総理大臣の浜口雄幸が東京駅で右翼団体のメンバーにより狙撃されます。一時的に回復した浜口でしたが、そのときの傷が原因で翌年亡くなりました。

さらに1932年には総理大臣・犬養毅が公邸で青年将校により射殺(五・一五事件)、1936年には当時の大蔵大臣で元総理大臣の高橋是清が自宅に押し入ってきた青年将校に射殺されています(二・二六事件)。時の総理だった岡田啓介はかろうじて難を逃れますが、殺害されていても不思議はない状況でした。

現職総理や総理大臣経験者だけでも、この短期間にこれほどの人々が暗殺されているのです。

 犯人たちの動機はそれぞれですが、背景としては当時の社会を取り巻く不安と不満がありました。しかし、政界の要人たちが次々と命を奪われたことで、当時の日本では国家のかじ取りを行う人材がいなくなるという事態になります。政治家に代わって軍部が国家を統治しようとし始めていた時代でした。

現代と似通う世相
 経済面から言えば、このころは恐慌の連続でした。

1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌、1929年の世界恐慌とそれに伴う1930年の昭和恐慌……。こうした経済危機だけでなく関東大震災もありました。当然のように国家財政も悪化し、国民は日々の生活に大きな不安を抱えている時代でした。

 一方で財閥に代表される資本家は大いに富を蓄えていたので、激しい格差社会が出現しました。そうした意味では、庶民の間に不満も鬱積していました。

1914年には第一次世界大戦に日本も参戦(~1918)、1931年に満州事変、1937年からは日中戦争に突入。そして1941年の太平洋戦争へという破滅の道に日本は突き進むのです。

 現代の日本の世情はどうでしょうか。1991年のバブル崩壊以降、一時的に景気が好転した時代もありましたが、基本的にはおよそ30年もの間、国民生活にとっては厳しい時代が続いています。財政悪化は言わずもがな、社会階層の固定化が進み、貧富の格差が拡大中です。さらに最近は円安と物価高で、わたしたちの生活はじりじりと脅かされています。

 そのうえ、東日本大震災をはじめとする震災が相次ぎ、新型コロナによるパンデミックで社会不安は増大しました。いま、かなり多くの国民が不安と不満を抱えているのではないでしょうか。

 さらに、もはや過去の時代のものと思われていた侵略戦争がロシアによって行われました。日本の周囲を見ても、北朝鮮は各種ミサイルを当たり前のように日本海に向けて発射してきていますし、中国が台湾、さらには尖閣諸島を武力で占拠しようとする可能性も日に日に高まっています。

 どうでしょうか。このように見てくると世相的にも、国民の心理状態的にも、1920~30年代と現代とは極めて似通っていると思えてこないでしょうか。

 そこに起こった安倍元総理に対する凶行です。2つの時代にはあまりにも共通点が多いと言わざるを得ません。

 だとすれば、現在は極めて危うい時代の曲がり角にきていると認識すべきです。この転換点で、私たちは100年前の歴史の教訓に学ばなければなりません。

全体主義の台頭を許すな
 一つは、要人に対する襲撃がこれ以上起こらないようにすることです。前述の原敬を刺殺した犯人は、同じ年に実業家・安田善次郎が右翼の活動家に刺殺された事件に刺激を受けて犯行に及んだとも言われています。つまり、こうしたテロ行為は連鎖する恐れがあります。

 社会に対する不満や不安が高まると、その感情をいつ、だれが、どのような形で暴発させるか予想は難しいかも知れませんが、暴力による言論封殺やましてや暗殺などという行為は、民主主義社会の自殺行為です。絶対に起こしてはなりません。

 もう一つは、社会が全体主義化することを防がなければならないということです。団結を強調するあまり、言論封殺をしたり、暴力的行為で異なる意見を持つ者を襲ったりしてはならないということです。

 経済的・社会的不安によって社会が圧迫されると、国民の間に分断が生まれやすくなります。そういう混乱の時代になると、台頭しやすくなるのが全体主義です。

 およそ100年前、格差社会の中で恵まれない境遇にあった人たちは、労働運動に救いを求めました。1920年には第一回のメーデーが行われます。人々はマルクス主義を信奉し、「労働者は団結せよ」ということでインターナショナルが流行りました。しかし、一部は過激化し、異なる意見を封殺するべく、運動内部での抑圧が過度に進みました。

 一方、経済的・軍事的な危機の中で右傾化する人たちも増加しました。こうした人々は、最終的には軍部を中心にした総力戦体制に突き進んでいきます。この動きが、言論封殺や特高による思想統制などに進んで行ったことは歴史上明らかです。

 両者は、左右の違いこそあれ、いずれも全体主義的傾向を強く持った集団です。混乱の時期に、意思決定を一本化してまとまって行動しよう、というのは間違った行為ではないと思います。しかし、意思決定前の討論・意見表出の段階から、言論を封殺したり、いわんや暴力で動きを封じ込めたりすることは絶対に許してはなりません。

 両者は衝突しましたが、やがて軍部が国家の主導権を握るようになり、日本は先の大戦に突き進んでいったのです。日本国民を待っていたのは、数えきれないほどの悲劇でした。

 他国による脅威が増し、防衛費が増額され、日本はひょっとすると再び他国と戦火を交える可能性も完全には否定できません。

 目の前の生活、あるいは近い将来の生活に不安や不満を抱えている国民は多いと思います。そうした中で、安倍元総理の銃撃というショッキングな事件が起きました。安田善次郎暗殺に刺激を受けて原敬を刺した男がいたように、これをきっかけに衝動的な行動に走る人物が出てくる可能性がないとは言い切れません。

 こうしたときこそ私たちは冷静にならなければなりません。暴力による言論封殺を許さないのはもちろん、過剰に危機を煽るような言説に流されることなく、日々の生活や社会と向き合っていく必要があります。大正末期から第二次大戦終結まで、約100年前と同じことを繰り返さないために、今ほど「歴史に学ぶ」ことが重要な時期はないのかも知れません。

【日本国民は感情を示さない故に不平不満不安が爆発した時の連鎖が怖い!『原敬、浜口雄幸、犬養毅…一世紀前の暗殺連鎖の時代と現代の不気味な共通点』】の続きを読む